三陸沖マグニチュード8.8
…そんなアニメか何かがあったような気がする(東京~かな?)。
さてこの時間にまだ東京近辺、実はオフィスから帰れない組の一人となりました(苦笑)。
オフィス内ではいくつかのグループで飲み会が開かれていて、楽しそう(うるさい)。
こちらはそんな飲む気にもなれず、ダラダラと時間を過ごしていたりなんたり。
ちょっとねぇ、歩き回った後にスーツ姿で3~4時間も徒歩で帰りたくないもんで、このまま寝泊まりだな~。まだ仕事で寝泊まり(仕事だと寝れないけど)じゃないだけいいかもな。
しっかし、深夜になっても余震は続きますな。
親戚が宮城にいくらか居るのだけど、まったく連絡がつかないままですわ。ま、その辺りは実家に任せておこう。
なーんもやる気がせんわ~。
明日はJRかKQが動いているといいなぁ。
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コメント
結局土曜日、何とか動き始めた電車で無事に帰宅。
そして月曜日、さすがに様子見として、自宅待機。
(Networkと電源が確保できれば、とりあえずどこでも仕事ができるもんだ)
投稿: Theur | 2011/03/14 17:40
思い出すと、去年2010年3月に、NHKが巨大地震と津波のドラマをやっていた。
(若菜っちが出演していた)
何とも因果な…。
いや、因果は無いか。
投稿: Theur | 2011/03/15 22:26
職場が川越近辺で、当日は久喜あたりの人の家に泊めてもらった。
埼玉は停電がひどくて、真っ暗闇の一夜。幸い隣家が自家発電機を持っていて、その電力を借りられたので、一晩中暖房を焚きつつテレビを見つつ。
翌日夕方に電車を乗り継いで帰宅。
月曜の出勤が地獄でした(6時に出て12時に着いた)。しかも15時には原発が不穏だとかで帰宅命令が出て、またも電車が動かず熊谷(の辺境)の同僚の家に泊めてもらうことに。
初めてお邪魔する家で揺れにも気付かず枕を高くして寝ていたのは内緒だ。
震災当日は関東圏内同士では電話もメールも届かなかったが、広島の親せきとは連絡が取れたので、親戚経由で家族の安否確認をすることができた。
現在我が家では非常時のために水と食料の入ったカバンを玄関のそばに置いている程度の備え。
今回派手に停電したか否かで災害に対する認識がかなり違う気がする。
ちなみに職場は計画停電直撃で延べ数日分作業が止まったりしたが、実家は一度も停電せず。家族も停電とか何なのって感じでのほほんと。
投稿: pの字 | 2011/04/25 14:20