2011年になっても変わらんこと
新年の挨拶もそこそこに、まあ、あちこちで見かける話を元に、個人的な愚痴をば。
どうも巷の人々は、かなり(ケータイで言うところの)ガラパゴス化に馴染んでいると言うか、自分たちがso-soとして使っているもの――それが普通つまり土台としている感がかなりある。
だからそこから外れると(知恵から物から海外産であると、そのほとんどが外れているようだ)、難癖付けることが散見される。
例えばAndroid。まあAndroidケータイでもいい。とりあえずキャリアの意向で自由度が減っていることは確かだが、それは日本国内の話としてここでは切り離して考える。
Androidと言っても所詮はLinuxである。それ自体はほぼ今までの『ガラケー』と変わりはない。Android自体はフレームワークでしかなく、とりあえず搭載すれば元からついている電話機能が使えるようになる。
(OS屋として言うと、Linuxを含めたAndroidが目の前に見えるシステムとしてはOSであるが、AndroidはOSでは無い。このあたりを混同している人が多いが、まあそれは置いておく)
あとできることは、アプリケーションの搭載と見た目(これは装置自体の外観と、表示されるGUIどちらにも関連する)。
組込み系の経験をそれなりに積んでいる人は既にお分かりの通りだが、これは結局『ガラケー』と同じことである。
Androidのオープンさを肯定する・否定する、両方の意見があるのだが、実は是非なんてどうでもよい話なのだ。
その部分を汎用的にいうと、単に機能(アプリケーション)のインフラがそろえば、それでおしまい。実はその程度のことなのだが、インフラを整備するのは非常に時間と金がかかる――そこはここでは言及しない。
また、装置(=端末)自体を考えてみよう。
コピーしてでも安価に作って売れたらそれが商売、という近隣国では、スレートというかAndroidタブレットがやたらと作られていて(ほとんどがRPコピーでしかないが)、もちろん名だたるメーカ品であっても、そのほとんどがRPを元にしていることは確かである。
それを購入した者が、やれ買ったコレは何々より操作性が~、とか見た目が~、とか。
ほかの国はどうか知らないが、まったく『(ステレオタイプの)日本人は完璧を求める』もんだな、と思った。
自分に合わなきゃ買わなきゃいいのに、それでも買って文句だけは言う。しかも非建設的である。
そりゃぁほとんどが自分では何するでもない非エコ型人なんだな、仕方がないとも言えるのか…。
そうそう、非エコで思い出した。
生活家電はどんどん分解できなくなってきた。お蔭で何かあった場合は手元で直しにくい(と言うより、ほとんど直せない)。
直せないから捨てて、新しいものを買う。
(裏として、修理代を支払うよりも、新規購入の価値観が物質的にも精神的にも上となってしまうようになってしまう)
商売側からの見地では正しい。しかしエコではない。
そんな商売をしている会社らが、『エコ』を謳っている昨今である。
もちろん小生もその一人である。
(直接そういう商売をしているわけではない)
新年早々、つまらん事ばかりが頭を悩ませる。
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