勉強嫌いについて
自分が勉強嫌いなもので、学生時代はかなり勉強しなかった。
今もそんなに勉強してるとは言い難いが、ちょっと理解できたような感があるので書いておくことにする。
『勉強』ってものが嫌いでやらなかったのではないような気がする。
それ自体に興味を持てなかったからやらなかったのでは無いか、と今さらながらそう思う。
と言うのも、今も結局あれこれ『勉強』をせざるをえないのだが、そのほとんどが『必要に迫られ』てということだ。学生時代に『必要に迫られ』ることなんかほとんど無かったし、教師の言う「社会に出たときに必要なのだ」という言葉にも、現状何が必要だったか分からない――いや、1割くらいはやっておいて良かったこともあるが、ほとんど意味の見えないもの=勉強だった。
いや、それでも興味さえ持てていたら、当時もやっていただろう。現在も、嫌だ嫌だと言いつつも、中には興味が出てきて率先して追求する事象も出てくる。
つまりは学校・教師・勉強方法といった事柄が、無駄なシステマイズをなされているといったところではないだろうか? まあ、現在のそれらがどうなのか知らない(知ったことではない)のだが、あちこちのニュースリソースを目にする限りだと、相変わらず教えられる側への『興味を持たせる』といった配慮の欠如した状況であるようである。
ちなみに社会に出たとき、後輩に教えるのも同じことが言えるのだが、会社は教わる場所ではなく働き・稼ぐためにあるので、すべてが適合するわけではない。
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コメント
勉強と遊び。
どちらにせよなんにせよ、押し付けられたものではモチベーションもあがらんわなぁ。
年取ってからやるのと若い頃にやるものの違いは、ビジョンというか見通しが立つかどうかかな?
技術単体では先が無くても他と組み合わせたりで生かすことができればよい、というかそれが本来の役割みたいな感じで、勉強もまたそれ自体が目的ではなくて手段なんだよね。
学生にとって勉強は本分であり目的であり、なのでそれが本末転倒している部分なんだよね。
でも、後になってそれが必須であったと気づくから押し付けているわけであって。
あま難しいやねw
投稿: p | 2009/02/09 13:55
んー、道徳的なことやルールとか、経験する場所も用意してもらえれば良かったな~。
5教科とか一般的に言われているものの中で、何割が必要だったかと思うとアレな気がする。
(すべては私ひとりがそう感じただけであって、誰もがあてはまる訳でもないが)
投稿: Theur | 2009/02/10 00:59
5教科中なんぼが個人にとって必須かはまた難しいわな
んだから義務教育としてある程度の段階で区切っているわけだろうし。
勉強以外のことも学校でちゃんと教えて欲しいよなぁ
親の仕事だといわれたらそれまでかもしれないが。
投稿: p | 2009/02/10 09:42